2004年10月第2週

 この三連休、実に久しぶりに、何もしないで一日中ゴロゴロしているという、ある意味ではとても幸せな時間を過ごすことが出来ました! たった一日だけでしたけどね。実はそれは台風のおかげなんですが……ま、そういう人は多かったんじゃないでしょうか。

 先週の金曜日の夜、福岡発21時30分のJALで東京へ向かう予定だったんですが、台風の影響で出発がまずは15分遅れとなり、さらに機内で何分か待たされてから出発し、携帯の電源を切っていたので時間がわからなかったんですが(私は腕時計はじめ装身具類は一切しないもんで)、機長の「まもなく到着します」というアナウンスが流れてからも結構時間が経ち(アナウンスも何回か繰り返されました)、結局、羽田空港に到着したのは一時間遅れの23時45分! おいおい、これじゃ最終電車に間に合わないんじゃないか?と思いつつ出口に向かっている時も、空港のアナウンスは到着のお詫びと、モノレールと京急の最終電車の時間が近づいていますのでお急ぎ下さい、と繰り返すばかり! 私がいつも利用している横浜までのバスは時間通りに終わり、当然運行していなくて、あまりに不親切な空港の対応(ま、台風なんかの遅れは仕方ないらしいんですが、サービス業であることに変わりはないと思うんで、何らかの対応はしてほしいと思うんですけどね。客を集めることには一生懸命になって、後のことは知らぬ存ぜぬというのはどうかと思いますよ、まったく! そういうサービス業、っていうか企業や組織、多いですよね。前に乾坤一滴プラスの掲示板にも書いたアジア太平洋映画祭の事務局もそうですけど)に怒りつつも、とにかく急がなくてはと足早に、おそらく同じような気持ちの多くの乗客たちと、とりあえず横浜に出ようと、京急のホームに向かいました。その間、携帯のサイトで最終電車の接続を調べ、やはり横浜から相鉄線、そして小田急線への連絡は間に合わないということがわかり、なんとか相鉄線の最終電車で行くことが出来たさがみ野の駅まで、大雨の中、家人に車で迎えに来てもらうことにしました。おそらく、帰る足がなくて、空港で朝まで過ごした人も多かったでしょうね。ニュースでよく見かける、あの空港のベンチで夜を過ごすのはつらいですよ。特別に深夜便のバスとか出すべきです!

 というわけで、家に着いたのは夜中の2時ぐらいで、翌日はいくつか予定を立てていたのですが、大型台風直撃のために家を出るのは止めることにして(危険なのは充分承知してるんで)、それから飲み始め、撮り溜めしていたビデオを観たりしながら、結局、明け方近くまで起きてました。で、翌日は一日中、家でゴロゴロとなったわけです。

 しかし、今年は福岡で台風に直撃されて散々な目に会い、福岡をはずれる台風が来たと思ったら、ちょうど神奈川に帰省していて直撃され、日本も台風の当たり年ですが、個人的にも当たり年ですね。どうせなら、他のものにも当たりたいと(こじつけですが)、三連休はIPATで競馬もしましたが(土曜日は東京競馬は台風で中止で、月曜日に代替競馬があり、結局、京都と東京で三日間開催という、まるで三連休に合わせたような開催になり、喜んだ人も多かったと思いますが)、いろいろありながらも、収支はマイナスでした。そうそう、土曜日の京都の最終レースで、三連単で153万円という三連単史上(といってもまだ始まったばかりですが)最高の配当が出たのにはびっくりしましたね。いつか取ってみたいもんです。

 三連休、残りの二日間も神奈川はあまりいい天気ではなかったので、日曜の昼間は学院の授業や10月末の学院祭の舞台、12月の2年生の卒業公演『聖ミカエラ学園漂流記』で使う資料類を探し出し(前にも書いたと思いますが、倉庫と化している私の部屋の押入れの奥からいろいろ引っ張り出すのは大変な作業なんです)、夕方から妻と三男と町田のヨドバシカメラに行って買い物をし、その後、吹奏楽と野球の練習を終えて帰って来た長男と次男も一緒に、例によって大好きなスーパー銭湯(前に7月の三連休に帰省した時にも行った)湯楽[ゆら]の里・瀬谷店に行ってのんびりしました。家族5人揃ってというのは、実に久しぶりでした。

 翌月曜日は、前から約束していた通り、朝から次男の野球の練習を見に、相模川の河川敷のグラウンドに行ったのですが、グラウンドの状態が悪く、近くの原っぱでのキャッチングの練習を見ただけでした。でも、中学生になってから初めて練習を見に行くことが出来たので(次男が中学に入ると同時に福岡赴任でしたから)、私も次男が頑張っている姿を見れてうれしかったし、次男も喜んでくれたようでした。1時近くまで練習を見た後は、家に帰って来て、残っていた資料の整理や仕事を片付け、夜はダイエーVS西武戦を観ながら食事をし、途中まで福岡の盛り上がりを遠くからも感じつつ、今年こそ日本シリーズ、福岡ドームに観に行くぞ! と気合を入れている中、結局ダイエーが負けてしまい、これで福岡も静かになっちゃうなぁ、とガックリしていました。で、例によって火曜日の早朝、羽田発6時半の便で福岡に戻ります。

 さて、三連休で神奈川に帰省する前も、先週はいろいろ動き回っていました。

 5日の火曜日の夜には、「福岡演劇のひろば」の薙野さんのお誘いで、西鉄ホールのプロデューサーの中村絵里子さんと三人で、博多餃子の店・游心(餃子をはじめ料理がみなおいしくて、お薦め!)で飲み、いろいろ楽しい話をしました。中村さんとは、西鉄ホールではよく会い(当然ですが)、電話でもよく話はするのですが、外では一度も飲んだことはなく、前から行こう行こうといっていたのが、薙野さんの計らいで、ようやく実現したわけです。まず、30代、40代、50代の三人それぞれの演劇との関わりの話などをしつつ、例によって福岡の演劇状況の話に進みました。ここでは発表出来ないような話などもしながら、やがて韓国の話題になり、福岡からは特に近い韓国の演劇を観に行こう、そして、西鉄ホールに呼ぼう、などという話にまで進みました。中村さんは、12月に西鉄ホールで、ラサール石井・作、江口カン・演出による『すぎのとを』という福岡の女優さんたち三人が出演する公演をプロデュースするのですが、ぜひ、今、旬の韓国の演劇やミュージカルもプロデュースしてもらいたいといい、私も大いに協力しますと約束しました。その前に、ぜひ、韓国演劇観劇ツアーをしたいですけどね。

 その翌々日、7日の木曜日の夜には、やはり「福岡演劇のひろば」のオフ会で知り合った松尾優夏さんが代表を務める演劇微小集団ふわっとりんどばぁぐ[通称:ふわりん]の稽古場にお邪魔しました。ふわりんはもうすぐ、っていうか今週末に公演があり、ほぼ一週間前の稽古で通しをやっていました。私は後半を先に、前半を後に観たのですが、もちろん、ほぼ出来上がっていて、後は細かい調整だけという感じでした。病室を舞台に看護婦と患者や家族との心の交流を描いた、ほのぼのとした作品です。で、稽古の後、当然、みんなで飲みに行き、松尾さんに改めてお互いを紹介してもらい、打ち解けて酒が進むうちに、私もいろいろいい出しました。といっても、あくまでも第三者としての意見ですよ。ちゃんと演出家がいるんですから。ただ、演出家は忙しいらしく、稽古を観に来るとダメ出しと指示を出して、その後、劇団員たちでその部分を稽古し、また観に来てもらってダメをもらうという繰り返しをしているということで(すべてではないと思いますが)、役者と一緒に稽古をしながら作っていくことを身上としている私としては、それって演出なのかなぁ、と感じてしまったわけです。そしてさらに、稽古を観て感じた細かいことを松尾さんに話しているうちに、結構遅い時間になり、2軒目の店を出てみんなと別れ、家に着いた時には、すでに3時を回っていました。

 その辺りの話は、前々日に薙野さん、中村さんと飲んでいる時に福岡の小劇場の話題として盛り上がった「演出不在」という話につながってくることなんですが、その件については、また改めて書きますね。しかし、福岡の小劇場やアマチュア演劇を観て「演出不在」と感じたのは、私だけでなく、中村さんや薙野さんも感じていたことだったんですね。みんな、自己満足だけじゃなく、なんかもっと観せて(=魅せて)ほしいよなぁ! これ、今、学院の学生たちにもいってることなんですけどね。

(2004.10.12)
(つづく)


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