韓国現代戯曲ドラマリーディングが終わった翌々日の15日、『代代孫孫』の翻訳者の熊谷対世志氏から頼まれたこともあり、作者のパク・グニョン氏と『狂ったキッス』の作者のチョウ・ガンファ氏と、鎌倉と横浜に行くことになりました。最終的に、私を含めた4人と、最初は車で行く予定で運転を頼んでいた月光舎の岡村多加江と熊谷氏の友人の中村さんという男性の計6人になりました。結局、車はやめて歩きにしたんですけどね。
素晴らしい秋晴れの下、11時に小田急線の片瀬江ノ島の駅で待ち合わせ、パク・グニョン氏ら3人は新宿からロマンスカーでやって来ました。そこから海岸に出て湘南の海やら江ノ島やらを説明し(説明の通訳はすべて熊谷氏ですが)、月光舎の生誕の地である今は無き天文館のあった海岸沿いのビルも教えました。昔は打ち上げの朝、海岸に出て日の出を見たことなども。そこから江ノ電の江ノ島駅まで歩き、最初の目的地、長谷寺のある長谷駅まで江ノ電に乗りました。パク・グニョン氏もチョウ・ガンファ氏も木造の江ノ島駅に感動し、普通の家の玄関先も横切る江ノ電に驚いてました。
長谷駅に着き、鎌倉彫りの説明などしながら長谷寺まで歩きました。長谷寺は日本最大の木造の長谷観音も素敵なんですが、境内の花や木を見ているだけでものんびりします。観音三十三応現身立像がある宝物館や十六童子が岩壁に彫られている弁天窟など、見所もいっぱい。そして、材木座海岸が見える見晴らし台で、ロマンスカーの中で飲み切れなかったというちょっと温かくなったビールで、日韓の仏教の話をしながらコンベ(乾杯)!
しかし、長谷寺で一番心に残ったのは、何といっても地蔵堂に供えられていた水子の千体地蔵でしたね。これは私だけでなく韓国の劇作家二人も感銘を受けたらしく、しばし無言になってしまいましたからね。高さ20cmぐらいの小さな水子地蔵(1万円で買って供えられるそうです)がズラーッと並んでいる様は、胸にジーンと迫ってくるものがあります。そういえば、韓国にはお地蔵さんはないと熊谷氏がいっておりました。
長谷寺を後にして、小津安の日記でも有名な100年続いているという運納喜(うなぎ)の浅羽屋の2階の座敷で昼食を取り(これがまた絶品!)、すぐ近くの高徳院の大仏へ。こちらも劇作家二人はなかなか気に入った様子で、20円払って大仏の中にも入りました。
大仏を見た後は、韓国の人たちは山登りが好きだと聞いていたので、鎌倉の銭洗い弁天まで大仏坂を上がって後光山の裏大仏ハイキングコースを通ることにしました。しかし、これが私のような運動不足の身にはなかなかハードで、天気がいいことも手伝って、佐助稲荷に着く頃には汗ビッショリになってました。劇作家二人は古びた佐助稲荷も気に入った様子でひと休みし、銭洗い弁天まで歩くと時間はもう4時近くなっていて、熊谷氏はタイムリミット。銭洗い弁天ではお決まりの儀式のざるでお金を洗い、ラムネをごちそうするとパク・グニョン氏は子供のように大喜び。瓶を不思議がりながら飲んでました。
結局、鶴岡八幡宮は見ないで鎌倉駅から横浜に向かい、熊谷氏が帰った後、通訳してくれる人もいないまま(ところが何とかなったんですが)、関内から伊勢佐木町を通り、中古ビデオ屋でチョウ・ガンファ氏が『もののけ姫』のビデオを買い、野毛に出て、三陽の屋台でギョーザとネギトリでコンベ! 二人は“毛沢東もびっくり!”というキャッチフレーズに「本当か?」と驚きながらも、おいしいギョーザと韓国風の屋台に、「この店は気に入った!」とすごく喜んでくれました。三陽のおやじさんがハングルを少し話せるのにも驚きましたが、実に素晴らしい日韓交流でしたね。
それから5人で、おそらくニンニクの臭いをプンプンさせながらみなとみらいの本屋に行き、チョウ・ガンファ氏が欲しいといっていた宮本武蔵のビジュアル本を探し、パク・グニョン氏からは今日のお礼にと、「THINK EARTH」と書かれた再生紙のノートをプレゼントされました。それはまさにパク・グニョン氏のメッセージで、二人のサインをもらい、使わないでとっておくことにしました。それから横浜に出て別れ、二人は翌日韓国に帰りました、と思います。
てなわけで、またまた新たな韓国との交流が深まり、私はますます韓国にのめり込んでいくんだろうなぁ。20日には韓国映画同好会の上映会でキム・ギヨン監督の『殺人蝶を追う女』という、ものすご〜い映画を見てきました。その話はいずれまた、絶対します!
(10.22.2002)
(つづく)