夏だから暑いのは当たり前だとしても、暑い! いや、暑いこと自体は嫌いじゃないし、汗かくのは好きなんだけど(新陳代謝のためにも)、その後、汗で濡れた服が冷房で冷たくなって身体が必要以上に冷えちゃうことがイヤッ、というか苦手なんですよ。あれってホント体調崩しますよね。なんかいい対処の仕方はないんでしょうか。おもいっきりテレビでやってくれないかなぁ。まぁ、着替えればいいことなんですけど。冷房も適度な温度ならいいんですけど(今も設定24℃にして冷房かけてます)、私がほぼ毎日利用する小田急線にしても、打ち合わせで使う喫茶店にしても、なんであんなにガンガン冷房効かせてるんでしょうか、まったく! まぁ、夏の香港の恐ろしいほど強烈な冷房には敵いませんがね。あれはホントに身体の芯まで冷えますか ら。
それはともかく、暑い暑いっていってると、余計暑さを感じるのはなぜかというと、その言葉に原因があるように思えるんですよ。「アツイ」という言葉自体が、なんかいかにも暑そうじゃないですか。だいたい、「ナツ!」ってのも暑そうだし、同じ「ツ」が入っていて、「うわっ、ツッ!」って感じですよね。その点、「フユ」は「フユッ」っていうか「フニュッ」っていうか、柔らかい感じがして涼しそうだし、「スズシイ」という言葉自体が、温度が低そうな感じがするじゃないですか。要するに音感の問題なんでしょうけど、それなら、夏にも「暑い、暑い」といわずに、なんか別の、例えば「そふい、そふい」とでもいえば暑苦しい感じがしないじゃないですか。「へひょい、へひょい」でもいいと思いますよ。
なんかまたどうでもいいようなことで書き始めてしまいましたが、それもみな暑さのせい……まぁ、一度書いたものはもったいないのでそのままにしといて、今週の本題に入りましょう!
先週、お盆前で忙しい中、かろうじて観れた一本の芝居は、くだんプロジェクトの『真夜中の弥次さん喜多さん』でした。う〜ん、先週もいろいろ関係者の芝居あったんだけど、行けなかったところのみなさん、ってほとんど全部だけど、ごめんなさ〜い! くだんプロジェクトは、いつも自分の劇団(tsumazuki no ishi)の公演の時でさえ連絡くれない寺っちゃんこと寺十吾が、わざわざ電話で連絡をくれたので観に行ったんですが(ホントは絶対行くつもりだったんですけどね、ただし平日の楽日しかスケジュールが空いてなかったんですが)、いやぁ、最高でしたね!
実は、くだんプロジェクトの前作『くだんの件』を、ワタクシ、韓国の釜山で観ておりまして、慶星大学近くのビアホールで天野や寺十やスタッフの人たちとちょっと飲んだりしたんですが、それはともかく、釜山ではものすごい人気でしたね、寺っちゃんは。もうアイドル並の歓声と拍手とサイン責め。いや、確かにそれだけの魅力はあるんですよ。それを、韓国の観客たち(その時はほとんどが学生でしたが)は素直に受け入れ、思いっきり楽しんでる反応が、それ(拍手や歓声)だったんですが、超満員のシアターグリーンでの千秋楽、つまり、日本での反応はどうだったかというと、みんな割りと冷静に観ているって感じでしたね。いや、決して悪い意味じゃありませんよ。「日本の観客はおとなしいけど、しっかり観て聞いてくれる」。これは、外国から来たアーチストたちがよくいうことですよね。つまり、『真夜中の弥次さん喜多さん』も、東京の観客たちは、しっかり演劇として観て楽しんだんじゃないかってことなんです。そう、くだんプロジェクトの劇は、少年王者館という天野天街の擬似記憶の世界を映し出したノスタルジックな風景とは違い、非常に演劇的な記憶(やはり記憶ですが)の上に成立しているもので、特に演劇好きな人に気に入られるんじゃないかと思うんです。
いずれ、くだんプロジェクトの芝居については、まじめに(これもマジメですけど)時間をかけて論じてみたいと思います。反復、記憶、劇的高揚、さらに映像とのコラボレーションも一筋縄ではいきません。いやぁ、ほんといいですよねぇ。前に観た時もそうでしたが、観ながら、このままずっと終わらないでいてくれたらどんなに幸せか、って思いましたもん。何時間でも観てられます。やる方は大変でしょうが。しかしまぁ、私はやっぱりアングラ好きなんですね。『わが青春のフロレンス』の曲、よかったですもん!
(8.6.2002)
(つづく)