杉並が日本を変える先頭になろう

霞ヶ関大占拠の当日の深夜、自宅の階段から転げ落ち、腰椎を骨折してしまい20日間入院しました。その間都知事選と総選挙が迫り気ばかり焦っていますが、いまもほとんど家から出られない状態で皆さんにご迷惑をおかけして申し訳ありません。

都知事選挙は宇都宮けんじさんという素晴らしい候補者が決まって喜んでいます。美濃部都政が終わってから革新陣営がこぞって推せる候補者が現れませんでした。今回は宇都宮さんが名乗りをあげてくれ、多くの政党・団体・個人から、「この人なら」と歓迎されています。ほかの候補者と比べて「人格」「識見」「行動力」のどれをとっても群を抜いています。

杉並では候補が決まる前から、憲法・教育・原発などで一致できる人なら一緒に推そうではないかという話し合いが始まりました。こういう動きは東京の自治体の中で最も早かったのではないかと思います。そして候補者選びの会議に杉並からも参加しました。私もこうした話し合いに当初から加わりました。

杉並の立ち上がりが早かったのは決して偶然ではありません。考えてみると11年にわたって闘った教科書闘争の成果に行き着きます。学校で使う教科書を自治体ごとに教育委員会が決めることになっていますが、杉並区は中学校の歴史の教科書を扶桑社というたいへん偏向した会社の教科書を選んでしまいました。この教科書を選んだのは全国で栃木県の大田原市と杉並区だけということで全国の教育関係者の人たちから「なぜ杉並で?」と疑問を持たれました。

この教科書は第2次世界大戦で行った日本のアジア侵略を認めず、絶対的専制主義を押し進めた「帝国憲法」を評価するなど異常な歴史観によるものでした。これに対して杉並では2つの教員組合が対立を乗り越え共同してこの教科書を採択しない闘いの先頭に立ちました。教員組合の闘いに励まされて多くの人たちが「杉並の教育を守るみんなの会」に結集し、学習会や決起集会を重ねました。闘いの11年間教育委員会を全部傍聴したKさん、常に闘いのまとめ役として采配を振るわれたTさん、KOさんはこの闘いの象徴です。この闘いは区長が代わったことをきっかけにして昨年8月ついに勝利を迎えました。

教科書闘争の経験からいろんな立場の団体や個人が共同すれば、思っている以上の大きな力を発揮できることを学びました。私は所属していた労働組合でずっと活動していて、杉並は寝に帰るだけで全く活動してこなかったため、この闘争にも終りの数年間しか参加しておらず、先輩たちの活躍を見るだけでした。

この間に福島の原発事故が起き、昨年4月には「素人の乱」のみなさんの大きなデモが高円寺で行われました。杉並での脱原発のデモはこうした背景のなかで2月と5月の2つのデモが行われ、脱原発お花見や盆ダンスが行われました。また「住民による脱原発宣言」集会も行われました。「脱原発・杉並」は古くから杉並で活動してきた人たちと「素人の乱」の人たちを中心に新しく参加された人たちが合流してできたものです。 いろんな意見の違いがありながら大枠で一致して運動を進めていくこの会はたいへん貴重だし、もっともっと発展させていきたいものです。

今度の都知事選挙と衆議院選挙はこれからの日本の進路を決める歴史的な選挙です。東京が変われば日本が変わる。日本を変えるために杉並の私たちが大いに奮闘しようではありませんか。

深野 和之