サイトオープンに伴うリンクの了解は、いちおう主だった演芸関係の方々からはいただくことができました、とオールアバウトのエンタテインメントのチャネル全体を統括するプロデューサー(編集者)の飯野さん(注2)に、わたしはメールで連絡しました。その直後、メールが一通届きました。
前もってOKをもらったはずのcabさんとおっしゃる方からのものでした。自分のサイトを、リンク集から外してくれ、との連絡でした。cabさんが管理するサイトには、円楽一門会の総帥・五代目三遊亭円楽師匠を紹介するページがあったのです。しかし、この方のサイトを取ってしまうと、円楽一門会関係の噺家さんのサイトは数少なくなり、一般の方に対して存在を的確に、わかるように紹介できなくなってしまう、と思いました。
すでに、ようやっとみつけたサイトのひとつからは、「こちらのサイトはリンクは一切許可しておりません」とリンクを断られ、わたしは少なからずあせっていました。何も知らない一般の方々に対して、円楽一門会をどのように紹介すればいいのだろうか。「何とぞ、リンクご承諾のほど、伏してお願い申し上げます」 しかし、cabさんから戻ってきた返事はかんばしいものではありませんでした。メールの文面には、わたしへの少なからぬ怒りがにじみ出ていらっしゃいました。
たしかに、トラブルを心配しているであろうことは、サイトリンクの確認と承諾のために、リンク集のページをFAXして、確認をして、電話でお話する中で強く感じました。三遊亭円楽師匠の紹介のページの中には「無断リンクを禁じます」とのはっきりとした記述がありました。以前、無断でリンクを貼られて、少なからぬトラブルが起こった、とのことでした。それゆえにcabさんにメールとFAXをして、お電話もしたのですが、説明のしようのない出来事が、わけもわからぬままに起こってしまった・・・・・。わたしは、円楽一門会関連のリンク集から、cabさんが管理している円楽師匠の紹介ページへのリンクを取ることにしました。
落語・演芸関係のサイトのすべてをリンクできなくなってしまった、ということが、自分の中でどこかでふんぎりになったと思います。わたしは、それならば、とサイトがオープンして、しばらく様子を見てから入れよう、と考えていた『2ちゃんねる・伝統芸能板』も入れました。あの、『2ちゃんねる』です。ここを、サイトリンク集の中に入れるのは、ちょっとこわい気持ちがありました。誰かわからない人が書く場所です。オールアバウトをはじめてしまったら、きっとわたしの名前でスレッドが立つでしょう。一会社員でしかないわたしの名前でスレッドが立ってしまうというのは恐怖でした。サイトガイドである自分について、スレッドを立てられ、自分の存在現在過去についてあることないこと全部ひっくるめて書かれるかもしれない。過去の自分の落語会の客席やサイトなどでの問題多い立ちふるまい、そして@niftyのシアターフォーラムFSTAGE『しあたー名人会』での、自分の自由奔放な過去の書き込みを思うと、かなり不安なものがありました。
サイトの冒頭は寄席・鈴本演芸場です。そして、おしまいは『2ちゃんねる』。鈴本から2ちゃんねるまで。けれども、トラブルがあったことで、かえって、自分がガイドするサイトの方針が見えたように思いました。落語や演芸のサイトを、どうにか自分なりの形でまとめることができました。中田キッチュあにさんからメールも届き、それで理解できた色物関係のサイトも、どうにかまとめることができました。
ところが。
内容を変えてもプレビューサイトにそれが反映されなくなりました。cabさんのサイトをリンク集から削ることができなくなっていました。ガイドサイトのオープンを直前に控え、サイト内容の変更がわたしの手では不可能になってしまったようなのです。いや、実は、わたしは、サイトオープンの日時は知らされていましたが、それが実際には何時からになるのか、そしてどういう形で一般に公開されるのか、知らされていませんでした。サイト制作の過程で、オールアバウト側と時間的な変更がどこまで可能か、自分がサイトを訂正してプレビューサイトに表示され、どのような過程でそれが実際に公開されるサイトに反映されるのか、そのあたりの打ち合わせは全くしていませんでした。けれども、オープン当日ぎりぎりまでサイトに手を入れるような状態にしてしまった自分も悪い、と思いました。
それはそれとしても、藤野さんのみならずcabさんまで怒らせてしまったことはとりかえしがつきません。しかも、サイト内容が自分の力では変更にならないことを、cabさんにどう説明すればいいのでしょうか。それはわたしとオールアバウト間の問題であって、cabさんにそのことを説明するわけにはゆかない。オールアバウトはトラブルについては知るよしもありません。
わたしはどうすることもできなくなりました。
cabさんは、わたしが『とりばかま』の名前で書いている『週刊FSTAGE・大江戸演芸捜査網』(注3)の最初の時に、落語をインターネットで配信したサイトの関係者として、お話を伺うことのできた方です。そして、サイトリンクに関しても「星企画さんの方にきちんと言っていただけるのなら」とおっしゃって、承諾してくださったのです。そうやってお世話になったはずの方に、わたしは、とりかえしのつかない、失礼なことをしてしまいました。どうすればいいのか全くわからないまま、わたしは改めてパソコンを電話回線に接続して、オールアバウトのサイトを開きました。時刻は午前10時を過ぎたころだったと思います。
http://allabout.co.jp/entertainment/rakugo/
オールアバウトのエンタテインメントチャネル『落語・寄席・演芸』サイトが、オープンしていました。サイトの全ページの画面左上には、サイトガイドとしてのわたしの顔写真が出ます。プレビューサイトには表示されていなかった、自分の顔写真がオールアバウトのサイト上にはっきりと出ているのをディスプレイ上で確認した瞬間、わたしは、じゅうたんに転がり、号泣していました。
藤野さんに対して、cabさんに対して失礼なことをしてしまった自分。そういう状態で、わたしは、顔を演芸界すべての人、いや全世界にさらけ出してしまいました。これから、寄席や落語会の客席にいると、わたしの顔は必ずチェックされてしまうことでしょう。関係者のみならず、一般の観客の方にも。そして「あの人が金澤さんだ」と指さされてしまうのです。
雑誌『東京かわら版』の大友編集長(注4)の『落語評論をめぐって』の講演会に行った時のことが思い出されました。その時、大友さんは編集長になってからの悩みや苦しみを、笑いにまぎらわしながらさりげなく語っていらっしゃいました。
落語についてものを書く、というのは、こうやっていろいろなことに気を遣い、神経をすり減らし、苦しまなければならないものだったのでしょうか。今にして思えば、何を悩み、苦しみ、そしてどう解決していったのかを教えていただきたかったけれども、その時には、よもや自分がこういう立場になるとは、夢にも思わなかったんです。
自分は、もう、何も知らないひとりの無邪気な観客のおねいちゃんに戻ることはできない。
わたしは、ただただ大声をあげて泣き続けました。
(2003.9.23)
(つづく)