2009年1月第4週
先週、いや、先々週は、龍昇企画の稽古とスクールの授業の合間をぬって、今年2本目の観劇。タイニイアリスで劇団MAYの公演『晴天長短(セイテンチャンダン)』を観て来た。『豚とオートバイ』の公演の時に知り合った、在日の金哲義君が主宰する大阪の劇団だ。
舞台は朝鮮学校の運動会。実際に舞台と客席の境にロープが張られていて、舞台上はシートが敷かれている保護者の観覧席、客席側が校庭で競技が行われているという作りになっている。高校生の息子の運動会を観に来た家族の、息子や先生を巻き込んだ話が展開されるのだが、そこにいろいろな、在日や朝鮮学校の問題、家族のことなどが、さりげなく盛り込まれながら、楽しく進行していく。
1時間ちょっとの芝居だったが、例によって、いい芝居はもっと観ていたいと思うように、この芝居ももっと観ていたかった。というより、舞台上で、あの家族と一緒に運動会を観ながら交流を持ちたいと思った。何しろ、先生以外の出演者はみな家族なのだから楽しい。息子と息子の父(金君が演じている)と母、母の母と祖母、母の弟と妹2人、そして父の妹。お互いに言いたいことを好きなように激しく言い合いながらも、わだかまりのない温かい家族の絆を感じるのは、韓国の血が入っている家族であり、関西弁だからだと思う。東京の、標準語の家族だったら、そんな雰囲気は感じなかったろう。下町だとまた違うかもしれないが。そう、やはり、地域性というのは重要だし、芝居においては大事にするべきだ。道学先生の『ザブザブ波止場』の舞台は宮崎だったし、『焼肉ドラゴン』は大阪の在日の話で、そこの言葉で、そこの生活が語られていた。他にも、特定の地域を舞台にした作品はそれこそいっぱいある。
なぜ、こんな話をしたかというと、福岡にいる時に、そういう芝居にあまり出会わなかったからだ。ギンギラ太陽'sは確かに地域性が重要な要素、というより、ある意味でかなりマニアックな芝居だから別として、いわゆる、今、その地域で生きている人間しか表現出来ない、地域の人間の生活の営みが深く描かれた作品には出会わなかった。いや、そういうものもあったのかもしれないが、それが、その地域の人間に向けてだけではなく、もっと外に向けて発信していれば、評判は伝わってきたはずだが、それを感じなかった、ということは、やはり、狭い部分でしか成立していなかったのだろう。福岡の魅力として、私は常々、「料理もおいしいけど、一番いいところは、福岡の人たちだ」といっているのだが、その魅力を感じさせてくれる舞台がなかったのが残念だ。こういう話になると長くなりそうなので(笑)、それはまた別の機会にするとして、『晴天長短(セイテンチャンダン)』は、☆4つ、いや、『鉄人28号』よりもおもしろかったから、☆4つ半だな(笑)。決して完成度が高いという芝居ではないが(完成度が高い作品がいいということではない)、役者たちがみな生き生きとしていて、芝居の進行と同じ時間を共有出来たことを幸せに感じた、いい作品だった。劇団MAYの秋の公演には、ぜひ大阪に観に行きたい。
25日の日曜は、去年の2月に亡くなった義母の一周忌法要だった。早いものだ。正月以来久しぶりに義妹家族や義父、そして、義母の友人たちにも会い、家で法要をした後、晴天の中、墓のある近くの霊園に行き、その後、大和の菊華飯店の別館で食事をした。そこは、義母の還暦祝いもした中華料理屋で、義母の遺影を前に、これまた久しぶりに昼間からの酒(紹興酒)で酔いどれた。
さて、実は先週、ものすごくショックなことがあった。この乾坤にも何度も登場している、下北沢の私の故郷のような店、古里庵が、1月31日をもって閉店してしまったのだ。隣りにあった忠実屋(最近はグルメシティ)のビルが取り壊され、下北沢の再開発が進む中、ついに古里庵のある土地も売られることになり(土地は店のものではないので)、建物が撤去されることになってしまったのだ。古里庵が悪いわけではない。悪いのは、いや、時代の波だからしょうがないのかもしれないが、自費出版で有名な某出版社が、忠実屋や古里庵のある土地を買ったらしい。下北沢の南口を出て、駅前広場をすぐ右に曲がって左側のところだ。小田急線はいずれ地下に入るが、あの辺りは商業地区のままのようだから、土地さえ売られなければ、ずっと営業は出来たはずだ。マスターも残念がっていた。あの場所には、大昔、北沢エトアールという映画館とストリップ劇場があり(昔は下北沢に3つも映画館があった! あと2つは、洋画系のオデヲン座と怪獣映画をよく観た邦画系のグリーン座。いや、もうひとつ、北口の方に小さな映画館があって小学校の時に観に行ったような記憶があるのだが、定かではない)、小学校の時、帰宅時間にエトワールが火事になり、その方面の子供は帰宅を待つように、といわれたことがあった。子供たちは、ストリップの裸の女の人たちが逃げているから、見せないようにしているのだと、今にして思えば馬鹿らしい噂話に花を咲かせた(笑)。このことは前にも書いたかな(笑)。
古里庵のことについても、書き出すと長くなりそうだし、泣けてきそうなので、手短に。とにかく、20の時から31年間通った店で、螳螂での稽古の帰りには(当時は下北沢に住んでいた)、ほとんど毎日寄って閉店まで、いや、閉店時間を過ぎても飲ませてもらっていた。いろんな人を連れて行ったなぁ。付き合った女の子は、大体連れて行った(笑)。こういう店を好きな子じゃないとダメだと思っていたので、ある意味、踏み絵のような店でもあった(笑)。もちろん、今の妻、というか一人しかいないが(笑)、ともよく行ったし、先週、最後に一緒に行って来た。ホントは子供たちも連れて行きたかったのだが(みんな、それぞれ連れて行ったことがあるし、長男は一人で行ったりもしている)、みんな都合が悪く、二人だけで行って来た。この店のマスターは、亡くなった母の友人で、母ともよく行ったので、親子三代、この店に通ったわけだ。長男が、いや、次男でも三男でもいいが、結婚して子供を連れて来られるまで店は続けてね、などと笑いながら話したこともあった。結婚して神奈川に住み、月光舎をやるようになってからは、なかなか行けなくなったが、東京に仕事や芝居を観に出て来た時には、必ずといっていいほど、帰りに寄った。福岡に赴任した時は、こっちに帰って来ると行っていたし、2年前から水道橋の仕事場に通い出してからは、月に2、3度は行けるのを喜んでいたのだが、それももう、出来なくなってしまった。
下北沢の変貌については、ここでも何回も書いているし、「俺の中で下北沢は終わった」などと書いたかもしれないが、本当にもう、下北でブラッと寄ってホッと出来る店がなくなってしまったのだ。悲しいし、寂しい。なくなるという話を聞いた時は、以前、そういう可能性もあると聞いていたので、突然ショックを受けたという感じではなかったが、ついにきたか、とがっくりしてしまった。実は、今稽古をしている龍昇企画公演『風景の没落』の中に、土地に関して、「いずれ、そうなるだろうと聞いてはいたが、いよいよか」という私の台詞がある。まったく、それと同じなのだ。さらに、「もう、人ひとりの思いなど、土地と共有出来なくなってしまったんだ」という台詞もあり、どうしても、古里庵のことを思い出してしまう。感傷的にいうべき台詞ではないのだが(笑)。マスターとママは、これからどうなるかまったくわからないといっていて、店をやる気持ちはあるようだが、下北沢は家賃が高くてとてもやれない、というし、年齢的なこともあり、店のことよりも二人のことが心配だ。「古里庵」で検索してみると、いろいろ書いている人もいて、いろんな人に愛されていたんだなぁとわかって、余計寂しくなった。閉店した後、まだあの場所に行っていない。すぐ取り壊されるのだろうか。下北沢に立ち寄る機会は、確実に少なくなる。
2月1日の日曜日には、前にも撮ったニコニコ動画の撮影があった。前と同じ『鷲崎健のアニメロ新人オーディション』の"声優への道コーナー"の対決企画の第二弾で、女子高の演劇部の先輩後輩の友情を描いたサウンドドラマだ(脚本は私じゃないが)。今回もスクール生が二人参加し、アニメロ新人オーディションの三期生の二人と対決する。結果の方はいずれアップされる番組の方を見てもらうとして、三期生の二人も少しずつ良くなってきているのがうれしい。
さらに5日には、私が二人にレッスンをする回の収録も行った。こっちの方は、1日の収録で使ったサウンドドラマの台本を使って、主に台詞術のレッスンをした。まぁ、10分ほどしか時間がないので、ほんの触り程度だったが、少しでも理解してもらえているといいのだが。こちらもいずれアップされるので、ぜひ見ていただきたい。
先週の水曜日、2月4日は誕生日だった。「五十而知天命(五十にして天命を知る)」から早や2年。はたして今やっていることが本当に天命なのかどうか、まだまだ悩んでいる年であることだけは確かだ。その日の朝、妻や子供たちから「おめでとう」とはいわれ、学校は休みだったのだが、夜は稽古で帰りは遅いし、特に何もしなかった。ま、いつものことで、何か他のことと一緒にお祝いをすることになるだろうが。次男の大学受験終了かな。合格祝いとはっきりいえないのがつらい(笑)。
そうそう、誕生日のタイミングで、奇特な方が(本名を出していいのかどうか判らないので)、mixiに私のコミュニティを立ち上げてくれた。まぁ、本人だから、なんといっていいのかわからないが(笑)、とりあえず報告だけ。もちろん、ありがたいことではある。興味のある方は、ぜひ参加して下さい。龍昇企画の公演の情報も載せなくちゃ。次週には、稽古の様子も報告する。では。
(2009.2.7)