2003年2月第2週

 結局、先週いっぱい体調は戻らず、先週の公演は行くことが出来ませんでした。関係者のみなさん、すみませんでした。

 というわけで、頭痛と腹痛と節々の痛みに悩まされながら過ごした先週は、頭も回らない中、久しぶりに寺山さんの戯曲などをパラパラとめくってました。
 寺山修司没後20年という今年、月光舎でも5月4日の命日前後に寺山作品をやりたいと思っていたんですけど(前に書きましたよね)、諸々の事情でやらないことにして、今年は秋のアリスフェスティバルと韓国公演だけにしぼりました。寺山作品は没後何年とかいうことにこだわらず、いずれまたやりたいとは思っていますが。

 寺山さんとのことはここでも何回か書いたと思うんですけど、この前のホビロン大王も出演していた『青ひげ公の城』とも、もちろん因縁があります。
 この作品の初演は西武劇場(今のパルコ劇場)で『魔術音楽劇/バルトークの青ひげ公の城』として1979年の10月に行われたんですが、その時に、その後、螳螂に入ることになる美加理がオーディションで受かって出てたんです。美加理は当時、某女子高の演劇部に所属していて、私はその演劇部の公演、つかこうへいの『出発』も観に行き、父親役を演じていた美加理をすっかり気に入ってしまったわけです。『青ひげ公の城』のパンフレットにはなぜか怖い顔をした美加理の写真が載っているんですが、その下に、やはりオーディションで寺山さんに気に入られて受かった高橋ひとみのセーラー服姿の写真が載っています。さらに下には、その後、曾根中生監督の映画『赤い暴行』で主役デビューし、井筒監督の『ガキ帝国』でヒロインも演じた紗貴めぐみ(紗貴とも美加理と一緒にアートシアター新宿で『サラダ』という公演をしました)の写真も。『青ひげ公の城』の二年前にやはり西武劇場で上演された『中国の不思議な役人』の初演には浅野温子も出ていましたし、今思い出しても、寺山さんは人の才能を見抜くのがうまい人でしたね。唐十郎の才能を見抜いたのも寺山さんだというし。

 『青ひげ公の城』は、その後、流山児★事務所で89年と95年にそれぞれ佐藤信さんと生田萬さんの演出で上演されたんですけど、信さん演出の舞台はよかったですね。寺山さんの言葉が、信さんの演出力で、持っている以上の力を昇華させられた小劇場の役者たちによって見事に立ち上がってきている、妖しく美しくエネルギッシュな舞台でした。

 で、今回の『青ひげ公の城』ですが……う〜ん、残念ながら、私にはおもしろいとは思えませんでしたね。何より寺山さんの言葉が伝わって来ないんです。やっぱり、魔法使いのように言葉使いになりたかったという寺山さんの言葉=台詞をもっと生かしてほしかったですね。それと、ミュージカルにしたのはいいんですけど、今回の音楽と寺山さんの妖しい世界とはマッチしてなかったと思います。出演者たちも……いや、ミシンとコーモリ傘が手術台の上で出会うこと(わかるかなぁ?)はいいと思うし、私もそういう舞台は大好きですけど、今回ばかりはそこからさらに立ち上ってくるものが見えなかったということでしょうか。もったいないなぁ、というのが素直な感想です。流山児★事務所の若手(ともいえないかもしれないけど)たちが頑張っていたのと、寺山さんの世界を自分のものにしていた篠井さんが楽しそうに演じていたのが救いでしたけどね。あ、小須田・松本コンビもおもしろかったですよ。しかし、あれだけの役者たちが揃っているのに、ほんとにわかって楽しんでやってるのかなぁ、と感じた芝居は久しぶりでしたね。もっとも私が観たのは初日だったので、その後、変わっていったとは思いますし、これはあくまでも私の感想ですから。

 その日は劇場のロビーで初日乾杯があったんですけど、いろんな人がいましたねぇ。最近あまり会ってない懐かしい役者や演出家の顔もいっぱいありました。挨拶すると「太った」とか「でも前より痩せた」とか必ずいわれるんで嫌なんですけどね。お互い年なんだからしょうがないんだって。その後、流山児さんや月光舎の音響の手伝いとかもしてもらっている横須賀智美や日刊ゲンダイの山田さんたちと飲みに行っていろいろ話しているうちに最終電車に乗り遅れて、相模大野からタクシーの御帰館でした。

 しかし、流山児さんとの付き合いも考えたらもう25年近いですからねぇ。相変わらず元気だなぁ、流山児さんは。昔と変わってませんよねぇ。いやぁ、飲みながら話するのは楽しかった! 流山児さんとの話はまた別の機会に。いろいろあるんですよ、楽しい話が。

(2003.2.17)
(つづく)


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