3月 7

「たき火」

Posted in 歌声隊

 歌人・斉藤茂吉(1882-1953)は、彼岸花にことのほか思い入れがあったようです。1935年、東京日日新聞「新・秋の七草」の依頼に彼岸花を選び、また、この花を詠んだ歌を何首か残しています。そのうちの一つが、中野の新井薬師周辺の情景を詠ったものだと言われています。数十年前の新井薬師界隈は、彼岸花が自生する牧歌的なところだったのです。
 戦前の一時期、その中野界隈に居住していた歌人がいます。巽聖歌(たつみ せいか)です。雑誌「赤い鳥」などで活躍した児童文学者でもあり、印象的な童謡をいくつか残しています。その童謡の中でも広く親しまれているのが「たき火」ではないでしょうか。
 巽は中野区上高田に住んでいましたが、自宅近辺には「ケヤキ屋敷」といわれる垣根の家がありました。その家にはケヤキの他にもカシやムクノキなどがあり、たき火に使っていました。「ケヤキ屋敷」の付近を散歩していた巽は、その風景をもとに詞をつくり、それに作曲家・渡辺茂が曲をつけました。渡辺は詞にふれて「ほのぼのとした暖かい気持ちになった」と言います。(ウィキペディア等参考)

巽聖歌 作詞
渡辺茂 作曲

たき火

垣根の 垣根の 曲がり角
たき火だ たき火だ 落ち葉たき
あたろうか あたろうよ
北風 ぴいぷう吹いている

さざんか さざんか 咲いた道
たき火だ たき火だ 落ち葉たき
あたろうか あたろうよ
しもやけ お手てがもうかゆい

こがらし こがらし 寒い道
たき火だ たき火だ 落ち葉たき
あたろうか あたろうよ
相談しながらあるいてる

中野にゆかりの歌なので、「脱原発中野も」の歌につくり代えようと考えましたが、原発政策への批判とイロニーを込めたら「ほのぼのとした暖かい気持ちに」なる歌が、かなりブラックなものに様変わりしました。

ビクトル・ユーレイ 作詞

脱原発替え歌――― たき火

海辺の 海辺の 曲がり角
たき火だ たき火だ ウランだき
あたろうか 死んじゃうよ
放射能 いっぱい 出ているよ

原発 誘致で 出来た道
たき火だ たき火だ ウランだき
あたろうか 死んじゃうよ
かざした お手てがもう被曝

こがねを こがねを 撒いたまち
たき火だ たき火だ ウランだき
つくろうか つくろうよ
密談しながら 歩いてる

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